
1994年7月の蒸し暑い日、私は宮崎県都城市で生まれた。
生まれて2日後、「ヒルシュスプルング病」であることが判明。
鹿児島大学病院にて大腸と小腸の半分を摘出する手術を受けることになる。
初めての手術から5歳まで腸の状態が安定せず、殆どを病院で過ごす。
1歳の頃、母親が周囲の子と比べて発育が遅く、寝返りが下手なことに気づく。
検査結果から「先天性脳性麻痺」であることが判明。
車椅子での生活が物心ついた時から当たり前だった。両親は将来のことを見据え、
「自分のことは自分でやらせる。できないことは人に頼むか工夫をして自分で解決する」の教育方針で育ててくれた。
この教育方針のお陰で、生きる術を身につけることができた。
小学生の頃の夢は「プロ野球選手」であったが、車椅子でどれだけ頑張っても叶わないことを悟る。
初めての挫折を経験することになり、同時に障がいがあることを悔やんだ。
中学生では自分を同級生と比較し、
「障がいがある自分は生きている意味はあるのだろうか」と自己嫌悪に陥る。
高校で出会った「車椅子陸上」のお陰で思考を変えることができ、「パラリンピック出場。金メダル獲得」が新たな夢となった。
夢を追う中で得意を活かして、不得意をサポートしてもらう方法を学ぶ。
大学では文部科学省が官民協働で実施している海外留学支援制度「トビタテ!留学ジャパン」を活用し、夢のためオーストラリア留学をした。
就職活動では自分の能力・スキルと関係ないことで、就職先の選択肢がないことに憤りを覚えた。
憤りから就職活動を辞め、障がいを武器にした起業を考え、
大学主催のビジネスプランコンテストへ参加。
グランプリを幾つか頂いたが、現実の収益見込みが立たず起業できず。
縁があり、宮崎大学障がい学生支援室にアスリート雇用として所属する。
アスリート雇用だけでは自分自身が満足せず、子供向けの障がい者スポーツ支援を行う。
支援をしている中で、障がい者の将来の選択肢を広げたいという思いが日増しに強くなる。
選択肢を広げるためには「教育を変えるしかない」と思うが、具体的な行動が出来ず思い悩む。
悩んでいる最中、現在の勤務先と出会い「障がい者就労100%」をMissionに掲げ挑戦する姿に惹かれ転職を果たす。
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